2010年1月31日日曜日

松本PTの発表



当院の理学療法士の松本君が産まれて初めての学会発表がありましたので、その応援に大阪まで行ってきました。「スポーツ障害フォーラム」という会で今回で15回を迎えます。大阪の国際会議場であったのですが、少し早くついたのJR福島の駅からぶらぶらと歩きました。会場は中之島の川沿いにあり、京阪電車が川沿いの下を走っています。川沿いはきれいに整備されており、なかなか感じの良いところでちょっと違う大阪を発見しました。松本君の発表は無事終わりました。今年は、このように学術的な活動も増やして行きたいと思います。

2010年1月25日月曜日

世間は狭い


先日、関学のラグビーのトレーナーが手術の勉強をしに、僕の手術見学に来ました。このオフのあいだは診察の見学も何回かする予定で、本当に勉強熱心で、頭が下がります。その彼と手術のあとに一緒に食事をしていたときに、彼がトレーナーになるきっかけの大きな要因になった人物の話題になりました。どうやら、元Jリーグのトレーナーだったようで(現在も違うJのチームでトレーナーをしています。)、「ところでなんて言う人なん?」って聞いてびっくり、出てきた名前は僕の高校時代に同級生でした。彼が、Jでトレーナーをしているのはもちろん知っていましたが、その彼が、今、僕と一緒に関学のお世話をさせていただいているトレーナーとつながるなんて夢にも思いませんでした。僕自身も彼と話すのはかなり久しぶりでしたが、そこは高校時代の友達です。すぐに時間のギャップは解消され、あたかも昨日もあっていたような気分でした。ホントに世間は狭いです。

ちなみにこれを読んでくれているトレーナーや、理学療法士のみなさん、また、それを目指す学生さんのなかで、スポーツ整形外科の実際を肌で感じてみたいと思われるかたは、遠慮なく当院に見学に来てください。診療現場を見る事はとっても勉強になると思います。興味のある方は当院のメール:infofujita-sekei-sports.jp まで。お待ちしています。

2010年1月23日土曜日

震災記念日3


前回からの続き↓

いつ頃正常診療に戻ったのか、実は記憶がはっきりしません。前回も書きましたが、覚えていない事も多々あります。15年も前の事を、事細かく覚えておく方が大変かもしれません。それでも、一部の記憶は昨日のごとく思い出されます。世の中にはその体験が忘れられず、まだ整理のついていないかともおられるかもしれません。それほど震災というものが我々にとって大きなものだったという事です。その後、神戸は飛躍的な復興を遂げましたが、その4年後に台湾の台中付近で大きな地震がありません。9.21集々大地震です。そのとき、僕は神戸大学派遣の医療救援隊の一員として台湾に1週間滞在しました。我々が、震災時にうけた色々なご恩を返しに行く番だと思い参加しました。そして新潟の地震、兵庫の水害などその後も次々と自然災害が起きています。しかし、あの震災のときに根付いた本当のボランティア精神は受け継がれ、また、あのときの反省をもとに作られた危機管理がことあるごとに整備され、少し表現は適切ではないかもしれませんが、あの地震が今の世の中に役立っている部分もあるのだとつくづく思います。貴重な経験でした。おなくなりになられた方のご冥福をお祈りし、震災記念日シリーズを終わりたいと思います。

2010年1月19日火曜日

震災記念日2


前回からの続き↓

大学病院に到着すると、出勤してきていたのは、大学病院に住んでいる若い先生方ばかりでした。到着したのは10時頃だったと思います。既に初期の軽症の患者の手当が終わり、重症患者が運ばれてくるところでした。もちろん救急車は十分な数がありませんでしたから、軽トラや近所の車に乗り合わせて、一度の何人もの怪我人が運ばれてきました。中には担架代わりにたたみに乗せられて運ばれてこられた方もあり、その畳がしばらく廊下に放置されていた光景が今でも目に焼き付いています。我々は整形外科外来で次々に運ばれてくる患者さんをトリアージしながら診療を続けておりました。一段落ついたのはたしかその日の未明だったと思います。それから3日ほどは病院に泊まり込んだような記憶があります。病棟はあっという間に整形外科関係の患者さんで一杯になり、その回診だけでもかなりの時間を割かれたのを覚えています。病院は当初避難所には指定されていなかったのにも関わらず、近所の人たちが避難してきて病院の受付ロービーを埋め尽くしました。しかし、病院関係者、患者さんに配られる支援物資(食料など)はあるものの、避難してきた人たちや看病をする人たちの分までは十分な数がなく、避難してきた人たちから罵声を浴びせられた事もありました。しばらくすると、病院も避難所に認められ、支援物資が届くようになりましたが、しばらくは少し異様な雰囲気でした。そのうち、ビル屋上の水のタンクが枯渇し、トイレは汚物のにおいで充満したのを覚えています。仮設トイレも設置されましたが、あっという間に一杯になり、しばらくトイレに行くのが嫌になったのをはっきりと覚えています。病院は病棟と検査棟のあいだに亀裂が入り、高層階では1mほどのギャップができました。(どちらかが歪んでいたんですね。その後病棟は一旦修理し、しばらくの間使用されていましたが、2002年に新しい病棟が別の場所に建てられました。)重症患者に関しては手術室が使える状態ではなく、県外の病院への搬送も行われました。ヘリコプターでの移送もありましたが、当時は病院内にヘリポートがありませんでしたので、鵯のヘリポートまで救急車でいき、ヘリに乗せていたのではないかと記憶しています。「ドクターが帯同してもらわないと困りますが、帰りは保障できません。と言われたのを記憶しています。そのとき帯同したドクターはどうやって帰ってきたのでしょうか?とにかく、未経験の事ばかりが展開して行く毎日でした。こうやって記憶を辿って行っても思い出せない部分も多々あります。新聞等で震災の記憶の伝承が重要であるとの記事をよく見ますが、本当にその通りだと思います。つづく

2010年1月17日日曜日

震災記念日


阪神淡路大震災より15年が経過しました。僕は当時神戸大学病院に勤めていました。震災のあさは家内の実家におり、神戸にはいなかったのですが、ベッドが激しく揺れ、家にダンプカーでも突っ込んできたのかと思いました。夜があけてテレビをつけると大きな地震があったとの事、この時点ではまさか神戸が震源地など思いもよりませんでした。出勤するべく、最寄りのJRの駅に行くと電車が止まっているとの事、当日は手術日だったので、あわてて、手術の時間を変えてもらうように大学病院に電話をしいました(そのときはまだで電話がつながりました。)電車が止まっているのでと伝えると、「それどころではありません.できるだけ早く来てください。」と看護師が叫んでいました。この時点でも、神戸の状況はよくわからず、とりあえず、車に乗り、神戸に向かいました。西から神戸に向かったのですが、第2神明は当然通行止め、しかたなしに稲美町の方を回って西神中央から西神戸有料道路を経由して神戸にいくことにしました。その間にラジオから刻々と神戸の様子が伝えられ、とんでもないことが起きている事がわかってきました。そして、西神戸有料道路の鵯の料金所を過ぎて神戸市内が一望できるところに来たときにとんでもない光景が目の前に飛び込んできました。映画でしか見た事のないような、とても現実であるとは信じられない光景でした。町のあちらこちらから煙があがり、一部には火があがっているのも確認されました。「いったいどうなっているんだ」大渋滞のなかを少しずつ病院へ向かいながら「早く病院に行かなければ」という思いでいっぱいでした。つづく

2010年1月16日土曜日

高校生のためのメディカルサポーター講座


615時より第1回高校生のためのメディカルサポーター講座を開催しました。兵庫県内の高校アメフト部のマネージャー、トレーナーに声をかけ、6校より18名が参加してくれました。傷の管理と脳震盪について僕が話をし、RICE処置を中山トレーナーが説明しました。後半はアイシングとテーピングの実習で当初は5時に終わる予定でしたが、テーピングの実習がなかなか好評で、終わったのは6時前でした。アメフトは怪我の多いスポーツの一つです。高校生たちは怪我やその予防についての知識をしっかりと学び、選手たちが安心して活動できる場所を提供できればと思っています。今後も2回、3回と続けて行きたいと思います。参加してくださった皆さん。お疲れさまでした。

2010年1月12日火曜日

スポーツネットミーティング



今年も、毎年新年恒例のスポーツネットミーティングに参加してきました。毎年、プロ野球選手や、オリンピック選手を招待し、シンポジウムをしています。そのシンポジウムの司会をなぜか?僕がしてきました(今年で3年目になります)。ゲストにオリックスの平野投手、シンクロナイズドスイミングのアトランタ、シドニー、アテネの3大会連続でメダルを獲得したシンクロナイズドスイミングの武田美保さん、トライアスロン北京オリンピック代表の山本良介選手、長野オリンピックスケートショートトラック金メダルで現在競輪選手の西谷岳文選手、陸上中長距アテネ、北京オリンピック代表の福士加代子選手、元ソフトバンクの竹岡投手、アメリカ大リーグクリーブランドインディアンズの大家投手、元アメリカプロバスケットボールの森下選手の8人でした。1時間にわたり、「スポーツ選手に聞く!ライフスキルとは」というテーマで皆さんのお話を聞いてきました。毎年の事ながら、彼らと話をするとなんだか元気がわいてきます。今年もがんばるぞ!!!



2010年1月7日木曜日

あけましておめでとうございます。


新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。ブログを書くのはどれだけ久しぶりでしょうか…。担当の事務員からは、しょっちゅう催促されていたのですが、なかなか書く事ができませんでした。『今年こそは』とがんばりたいと思います。新年というのは人間が作った区切りで、自然界では特に何の変わりもなく、1日が始まり、終わって行くだけです。しかし、せっかく作られた区切りですので、これを利用しない手はありません。心新たにブログを書いて行きたいと思います。

今年、クリニックは4年目を迎えます。去年のお正月の挨拶にも『パワーアップするぞ』と書きましたが、今年もまたまたパワーアップします。4月には常勤の理学療法士が2名増え、常時6人体制になります。トレーナーは大友トレーナーの渡米による “ 卒業 ” に伴い、新しいトレーナーが入職します。我々が目指すスポーツクリニックにより近づくために、これらかも日々努力して行きたいと思います。