2011年3月18日金曜日

東日本大震災3


先日から、東日本大震災が起きたことをきっかけに、阪神淡路大震災のことを思い出し、覚えていることを今のうちに書き留めておこうとブログを書いています。地震2日目からはトイレが大きな問題になりました。最初は病院の屋上のタンクにある程度の水がありましたので、水洗便所も機能していましたが、そのうち水が出なくなり、トイレは悲惨な状態になりました。(お食事中の方はすみません)水が来ないということはそういう事なのです。そのうち簡易トイレが正面玄関の前にズラリとなりびましたが、そのタンクがいっぱいになるのも時間の問題でした。テレビを見ていてもそこまでは報道されませんが、きっと東北の皆さんも困っていると思います。地震、津波発生から1週間が経過し、そろそろ現実が現実として認識される時期になってきます。人間いつまでも「頑張れる」わけではありません。その反動で、精神的にかなり落ち込んでくる時期でもあります。頑張れなくなったら、素直に、「頑張れない」って周りの人に言ってみてください。そうすることで、少し楽になれます。楽になれば、そのあとまた頑張れるかもしれません。僕達、神戸も復興しました。東北の人たちもきっと復興できます。僕達も出来るだけのことはしたいと思います。(つづく)

2011年3月15日火曜日

東日本大震災2(前回の続き)


(神戸淡路大震災のこと)診察が少し落ち着きを見せ始めた頃、病院のロビーには被災者の方々が避難してこられ、あっという間に病院のロビーは被災者いっぱいになりました。しかし、当初は避難所指定はされていなかったために、支援物資(食料、水等)が届きませんでした。しかし、病院ですので、病院の職員、患者さんには支援物資があり、食料も水もそれなりに足りていました。ただ、避難されてきた皆さんに配るほど十分ではなく、一部の人だけに配るわけにもいきませんでした。患者さんのご家族の方は避難者として病院におられ、患者さんには支援物資は配れましたが、家族の方には渡せないという、異常な事態が1,2日続いたと思います。「こっちにもよこせ」と罵声にも似た声をかけられたことを、昨日のように思い出されます。そのうち、一応避難所に指定され、支援物資も届くようになりましたが、業務に影響が出るため、できるだけ本来の避難所に移っていただくように病院職員が声をかけていたようです。病棟はその隣とのビルとの境目で亀裂が入り、上層階では1m以上のギャップが出来ていました。(病棟が少し傾いたようです。)自宅待機の可能な方には極力退院していただき、地震で負傷された方々を収容したところ、入院患者の8割近くが整形外科関係の患者さんになった記憶があります。水、電気がないため、透析を十分に行うことができず、簡易の装置を使って、必死頑張っておられた内科の先生方の姿も思い出されます。我々もクラッシュシンドロームやコンパートメント症候群の患者さんに対して、病室内で、局所麻酔下の筋膜切開を何人もの患者さんに行いました。余震も頻繁にあり、震災の当日の夜には近隣で火事があり、その火の手が病院のほうに向かっているとの情報もあり、不安な一夜を過ごしました。今、まさに東北がこの状態です。何かしたいのですが、何をしたらいいのかわかりません。とりあえず、クリニック内での節電を始めました。(つづく)



2011年3月14日月曜日

旅立ちの会


昨日、啓明学院高等部アメリカンフットボール部の旅立ちの会(卒業生を送る会)にご招待を受け、行ってきました。学校の卒業式から少したった彼らは、少し大人になったような感じがしました。大学に入って、フットボールを続ける人も続けない人もいるようですが、この3年間にアメフトを通じて学んだことをこれからの人生に存分に活かしていって欲しいと思います。

2011年3月12日土曜日

東日本大震災


金曜日に信じられないことが起きました。我々神戸市民にとっては、16年前のことを思いだし、とても他人事には思えません。16年前は、大学病院に勤務していて、地震の日の朝は当直明けで加古川いました。もちろん加古川でも強い揺れを感じ、飛び起きました。直後はテレビでも神戸の震度は空白で(今回も激震地区の震度ははじめは空白だったような気がします。)神戸の状態はよくわかりませんでした。もちろん、このような大きな地震に慣れていないので、てっきり震源は関東の方で、こちらが震源地であるなど思いもしませんでした。連休明けの火曜日で手術日でした(連休中は大学センター試験(共通一次試験)が行われていました。)。出勤の用意をし、最寄りのJRの駅に行くと、電車がとまっており、「手術に間に合わないかもしれないので手術時間を変えてくれ」と慌てて大学病院に電話したところ(その時は奇跡的に電話がつながりました。今考えると本当に奇跡的です)、「それどころじゃありません。すぐに来て下さい。患者さんで病院が溢れかえっています」との看護師の答えに、初めて事の重大さを認識しました。車にのりかえ、すぐに大学病院へ向かいましたが、西神戸有料道路の上からみえた神戸市内(長田付近)は、あちらこちらで火の手と煙があがっており、とても現実の景色とは思えませんでした。ようやく病院に到着したのが、たしか11時頃だたと思います。すでに病院の周辺に住んでいる若い研修医の先生方のおかげで、軽傷の患者さんの処置はそれなりに終わっており、重傷者がドンドンと運ばれてくる時間帯でした。その時、病院に到着していた教官は、現在あんしんクリニックの院長をされている岩崎先生だけで、僕が2番目に到着でした。次から次に運ばれてくる患者さんの診断(トリアージ)を外来の待合で行っていました。(診察室のベッドはすでに患者さんで埋め尽くされており、診察室を使うことはできませんでした)それから数日間、病院に寝泊まりしたのを覚えています。今、まさに、東北地方の病院ではこのような光景がくり広がっているのだと思います。医療関係者の皆さん、疲れが出ないように、気をつけてください。(つづく)

2011年3月7日月曜日

ハマクマノミ参上

先日、このブログでお知らせしたように、クリニックの魚が全滅しましたが、この日曜日にハマクマノミ4匹を迎えました。ペットショップで4匹仲良く泳ぐ姿に、4匹ともほぼ衝動買いの状態でした。クリニックに帰ってきてよくよく見てみると、4匹のうち、2匹は少しいじめられているようで、背びれをたたんだままです。ちょっと黒目の1匹はボスっぽくっていち早くイソギンの中に入って行きました。さて、彼らがどうなるか、どのうような社会を作っていくのか楽しみです。白点病が再発しないように祈ります。



2011年3月4日金曜日

水槽全滅


今年初めに再度立ち上げたクリニックの海水魚の水槽の中の魚が、ここ最近、非常に順調に維持できていたのですが、トゲチョウを入れて2週間ほどで白点病が発症し、それが猛威をふるって薬液治療を行うも、手遅れとなりました。ハナビラクマノミ5匹、トゲチョウ1匹が天国に召されました。6匹のご冥福をお祈りします。現在水槽はツマリシライトイソギンチャク1匹とヤドカリ3匹が残っています。水質もかなり悪くなっているようですので、しばらく、水質が安定するまで頑張りたいと思います。新しい魚が来るまで、もうしばらくお待ち下さい。