ご存じの方もおられるかもしれませんが、今週の月曜日(23日祝日)に中学生対象の野球教室を開きました。クリニックを開業するときに、将来やりたいことがいくつかあったのですが、その一つが、この野球教室でした。今年のはじめにやることを決定し、春先から神戸市の中学野球部の先生方と何度も打ち合わせを行いました。最終的には、神戸市中体連と教育委委員会が主催していただけることになり、我々は共催として色々とお手伝いをさせていただきました。講師は、僕がチームドクターをしているオリックスの選手・コーチにお願いし、北川コーチ、比嘉投手、近藤投手、縞田内野手に来ていただきました。
当日、お天気も最高で、市内の20チームほどから60名ほどの選手が集まり、プロの一流の選手からいろいろと教えていただきました。野球教室終了後には、指導者の皆様を対象に、スポーツ障害に関する講習会も開き、
本当に有意義な一日を過ごすことが出来ました。来年以降も、継続してこのような活動を続けていきたいと思います。ご協力いただきました、関係各位にこの場をお借りしてお礼申し上げます。
2013年12月29日日曜日
2013年12月22日日曜日
2013年8月31日土曜日
菅平と雷
先日、関学大ラグビー部の菅平合宿に行ってきました。2年ぶりの菅平でしたが、2年前と同様、雨でした。しかし、今回は、雷を伴っており、かなり近いところで落雷があるような雰囲気でした。そのような天候の中で、流通経済大学との練習試合が行われました。試合前からかなりの雨と雷光、雷鳴があり、菅平のほとんどの練習試合は中止されてにもかかわらず、この試合は、強行されました。関学側としては、中止することをかなり強く申し出たようですが、ホストチームである流通経済大学のスタッフがどうしても中止に同意をしなかったようです。
雷は非常に恐いです。雷鳴が聞こえれば、どんなに遠くても次には落ちる可能性があるそうです。(雷鳴は10Kmしか届かないが、落雷は20Km圏内で起きる可能性があるそうです。)
アメフトでは、きちんとした取り決めがあり、雷鳴・雷光があれば、すぐに試合、練習を中止し、30分間は中断します。30分間、全く雷鳴・雷光がなければ、再開です。待っている間に雷鳴・雷光があれば、リセットしてそれから30分間は練習、試合は出来ません。
ところが、ラグビーの世界では、日本協会の通達は何ともお粗末なのです。
2012年7月3日に「雷注意報、警報の発令があった場合は直ちに練習、試合を中止する」と、画期的な通達を出したにもかかわらず、その2ヶ月後に「落雷の危険性が高いと判断した場合は直ちに練習、試合を中止する。」と何とも及び腰の通達に変更してしまったのです。すなわち、危険性が高いかどうかの判断は、現場にまかされ、その基準を明確にしていないのです。 なんと言うことでしょう。雷鳴が聞こえる中でも、「危険性が低い」と判断すれば、試合、練習の続行は可能なのです。どうやって危険性を判断するのか、気象予報士でもない現場の人間が判断できる訳がありません。今回も、流通経済大学のスタッフが「危険性が低い」と判断し、試合が強行されたのです。試合続行には、反対しましたが、結果的に、選手を引き上げるなどの行動を起こさなかった我々関学も、この試合続行に同意したことになります。もちろん、落雷はなかったので、ことなきを得ましたが、こういうことは、「結果オーライ」ではだめなのです。
現場にいた僕自身が、試合続行に関して強く抗議できなかったことをすごく反省しています。今度、このようなことがあれば、僕自身が矢面に立ち、その後チームからチームドクターを解雇されようとも、中止を強く訴えたいと思います。ちなみに、試合中、傘をさして観戦していたコーチのうち二人が、傘の支柱からほっぺたの方に静電気のようなものを感じたと言ってました。これって、小さな落雷?だったのでしょうか。
年間に落雷での死傷者は15人程度だそうです。
これを、多いととるか、少ないととるかは人によるかと思いますが、スポーツ現場での落雷は完全に予防が可能なものであり、それを行わずに落雷を受けた場合、下記のように、試合の主催者側の責任が問われます。
大阪府高槻市で1996年8月、サッカー大会の試合中に落雷に遭って視力を失い、手足が不自由になるなど重度の障害を負った高知市の北村光寿さん(28)と家族が、在籍していた私立土佐高校(高知市)と、大会を主催した高槻市体育協会に約6億4600万円の損害賠償を求めた訴訟の差し戻し控訴審判決が17日、高松高裁であった。
矢延正平 ( やのぶまさひら ) 裁判長は「落雷発生を予見することは可能で、サッカー部の引率教諭や市体育協会、大会の会場担当者らは注意義務を怠った過失がある」などとして、原告敗訴の1審判決を変更、将来のリハビリ費用を含む計約3億700万円の支払いを命じた。
学校の課外活動中の落雷事故で賠償が認められたのは初めて。
判決は「教諭や会場担当者らは生徒の安全にかかわる事故の危険性を予見し、防止する措置をとる注意義務を負う」と指摘。その上で、試合開始前に雷鳴が聞こえ、雲間の放電も目撃されていたことなどから、「雷鳴が大きな音でなかったとしても、教諭らは落雷の危険を具体的に予見できた」とした。
—読売新聞より抜粋ー
しかし、このような判決が出て、主催者側の過失が認められ、賠償を行い、責任をとっても、障害の残った方の障害は元通りにはなりません。その人の人生そのものが大きく変わってしまうのです。
よく「私が責任を取るから」という言葉を聞きます。お金や社会的責任で対応が可能な事例であれば、それでもよいかと思いますが、身体に影響が残ること、ましてや命を奪われることに対しての「責任」とは何なのでしょうか。いくら「責任」をとってもその人の命は戻りません。後遺障害は治りません。これは、医療関係者にとっては、本当に重要な問題なのです。この雷の事例を機会に、医師として、もう一度「責任」というものを考えていきたいと思いました。
長々と失礼しました。
雷は非常に恐いです。雷鳴が聞こえれば、どんなに遠くても次には落ちる可能性があるそうです。(雷鳴は10Kmしか届かないが、落雷は20Km圏内で起きる可能性があるそうです。)
アメフトでは、きちんとした取り決めがあり、雷鳴・雷光があれば、すぐに試合、練習を中止し、30分間は中断します。30分間、全く雷鳴・雷光がなければ、再開です。待っている間に雷鳴・雷光があれば、リセットしてそれから30分間は練習、試合は出来ません。
ところが、ラグビーの世界では、日本協会の通達は何ともお粗末なのです。
2012年7月3日に「雷注意報、警報の発令があった場合は直ちに練習、試合を中止する」と、画期的な通達を出したにもかかわらず、その2ヶ月後に「落雷の危険性が高いと判断した場合は直ちに練習、試合を中止する。」と何とも及び腰の通達に変更してしまったのです。すなわち、危険性が高いかどうかの判断は、現場にまかされ、その基準を明確にしていないのです。 なんと言うことでしょう。雷鳴が聞こえる中でも、「危険性が低い」と判断すれば、試合、練習の続行は可能なのです。どうやって危険性を判断するのか、気象予報士でもない現場の人間が判断できる訳がありません。今回も、流通経済大学のスタッフが「危険性が低い」と判断し、試合が強行されたのです。試合続行には、反対しましたが、結果的に、選手を引き上げるなどの行動を起こさなかった我々関学も、この試合続行に同意したことになります。もちろん、落雷はなかったので、ことなきを得ましたが、こういうことは、「結果オーライ」ではだめなのです。
現場にいた僕自身が、試合続行に関して強く抗議できなかったことをすごく反省しています。今度、このようなことがあれば、僕自身が矢面に立ち、その後チームからチームドクターを解雇されようとも、中止を強く訴えたいと思います。ちなみに、試合中、傘をさして観戦していたコーチのうち二人が、傘の支柱からほっぺたの方に静電気のようなものを感じたと言ってました。これって、小さな落雷?だったのでしょうか。
年間に落雷での死傷者は15人程度だそうです。
これを、多いととるか、少ないととるかは人によるかと思いますが、スポーツ現場での落雷は完全に予防が可能なものであり、それを行わずに落雷を受けた場合、下記のように、試合の主催者側の責任が問われます。
大阪府高槻市で1996年8月、サッカー大会の試合中に落雷に遭って視力を失い、手足が不自由になるなど重度の障害を負った高知市の北村光寿さん(28)と家族が、在籍していた私立土佐高校(高知市)と、大会を主催した高槻市体育協会に約6億4600万円の損害賠償を求めた訴訟の差し戻し控訴審判決が17日、高松高裁であった。
矢延正平 ( やのぶまさひら ) 裁判長は「落雷発生を予見することは可能で、サッカー部の引率教諭や市体育協会、大会の会場担当者らは注意義務を怠った過失がある」などとして、原告敗訴の1審判決を変更、将来のリハビリ費用を含む計約3億700万円の支払いを命じた。
学校の課外活動中の落雷事故で賠償が認められたのは初めて。
判決は「教諭や会場担当者らは生徒の安全にかかわる事故の危険性を予見し、防止する措置をとる注意義務を負う」と指摘。その上で、試合開始前に雷鳴が聞こえ、雲間の放電も目撃されていたことなどから、「雷鳴が大きな音でなかったとしても、教諭らは落雷の危険を具体的に予見できた」とした。
—読売新聞より抜粋ー
しかし、このような判決が出て、主催者側の過失が認められ、賠償を行い、責任をとっても、障害の残った方の障害は元通りにはなりません。その人の人生そのものが大きく変わってしまうのです。
よく「私が責任を取るから」という言葉を聞きます。お金や社会的責任で対応が可能な事例であれば、それでもよいかと思いますが、身体に影響が残ること、ましてや命を奪われることに対しての「責任」とは何なのでしょうか。いくら「責任」をとってもその人の命は戻りません。後遺障害は治りません。これは、医療関係者にとっては、本当に重要な問題なのです。この雷の事例を機会に、医師として、もう一度「責任」というものを考えていきたいと思いました。
長々と失礼しました。
2013年8月22日木曜日
学校の名前
関西学院大学(関学)のラグビー部のチームドクターをさせていただいている関係から、高等部のラグビー部の選手もクリニックに来てくれます。そして中学生も来るのですが、関学の中学生の学校名は関西学院“中等部”ではなく、“中学部”なんですね。高校は“高等部”なので、てっきり“中等部”だと思っていました。ちなみに小学校は“初等部”です。そんなことがあり、他の学校はどうなっているのだろうと気になって調べてみました。(どうでもいいんですけどね)
兵庫県の高校アメフトがある学校を調べてみると
六甲は、「六甲学院六甲高等学校」「六甲学院六甲中学校」
仁川は、「仁川学院小学校」「仁川学院中学校」「仁川学院高等学校」
滝川は、「滝川中学校」「滝川高等学校」
啓明は、「啓明学院中学校」「啓明学院高等学校」 でした。
ちなみに、関西大学アメフト1部校では
立命館は
「立命館小学校」「立命館中学校」「立命館高校」別に「立命館宇治中学校、高等学校」や「立命館守山中学校、高等学校」などもあります。
関西大学は
「関西大学初等部」「関西大学中等部」「関西大学高等部」ですが、別に「関西大学第一中学校、高等学校」と「関西大学北陽中学校、高等学校」があります。
近畿大学は
「近畿大学附属中学校」「近畿大学附属高等学校」です。
関東では、
慶応は
「慶応義塾幼稚舎」「慶応義塾中等部、慶應義塾普通部」「慶應義塾高等学校」
中学校が「中等部(男女共学)」と「普通部(男子校)」と呼ばれる学校があるみたいです。「幼稚舎」は幼稚園ではなく、小学校です。
学校により、名称の付け方が微妙に違うんですね。ちょっと面白いです。
2013年5月7日火曜日
BREITLING JET TEAM JAPAN TOUR 2013
2013年4月22日月曜日
載っちゃいました
先日発売になった「ドクターズガイド 治せる医師を本気で探す」という、時事通信社が出した本に載せて頂きました。「スポーツ整形外科」の項目のところに僕の名前が乗っています。学会活動などで、いつも大変お世話になっている、昭和大学藤が丘リハビリテーション病院の筒井教授から、「お前のことも推薦しといたから」とお話を頂いたのが、半年ほど前でした。それから、何度か出版社より調査がありました。このような本は基本的に中心になる医師がいて、その先生が紹介推薦する形になることが多いです。ですから、この本に載っていない先生でも、優秀な先生はたくさんおられます。これが全てではないのです。それでも、このような本に載せていただくの大変光栄なことです。クリニックの本棚においておきますので、また見てくださいね。ちなみに、僕は300ページに載ってま〜す。
2013年4月20日土曜日
ビューティー講習会
今年、5名の新人女性スタッフが入職しました。いずれも才色兼備の素晴らしい女性たちですが、更に美しく、綺麗になって、患者さんたちの診療に当たろうということで、ビューティー講習会を開きました。男性も参加して、寝癖の直し方や、髪のセットの仕方なども合わせて教えて頂きました。講師は、僕が23歳の時から通っているカットハウスのマスターとその奥様です。20年以上のお付き合いで、僕の髪の毛のことはなんでも知っている人です。女性軍は、ファンデーションの選び方や、眉毛の揃え方、髪の毛のセットの仕方を始めとして、患者さんへの対応の仕方など、色々と教えて頂きました。これからも時々このような講習会を開いていきたいと思います。
2013年4月16日火曜日
季節感
大阪で生まれ、小学校2年生の時に奈良に引越しし、大学に入るまでの10年間は奈良で過ごしました。一番多感な、そしていろいろなことを吸収できる時代を奈良で過ごしたのですが、大学生になって神戸に来た時からよく感じていたのは、奈良に比べると神戸は季節感があまりないなぁということでした。もちろん、大学生で神戸に来ていますので、自然などの周りの景色なんかにはあまり興味はなく、ひたすらどうやって授業をサボろうか、どうやって楽して単位を取ろうかなど、今考えると本当にもったいない時間の使い方をしていたのですが、それでもなんとなく季節感のないことが気になっています。あるとき、そのことをよく考えてみると、キーワードは「田んぼ」であることに気づいたのです。僕は自宅からJR(当時は国鉄)で20分ほどゆられたところにある高校に通っていました。毎日、電車通学をしていたのですが、その電車は、田舎電車(地元の方ごめんなさい)で田んぼのど真ん中を通って行きます。すなわち、電車に乗っている20分間は毎日田んぼを見ていたのです。もちろん小学校や中学校は地元でしたので、周りは田んぼだらけでした。そして、知らず知らずのうちに、田んぼを見て季節を感じていたのにきずいたのです。春の水張りに始まり、苗床が作られ、田植え、そして真夏の青々とした稲の葉、晩夏には青い葉の間から稲穂が顔を出し、やがて、稲穂は黄金に色を変えていきます。台風が来ると稲がめちゃんこに倒れていたり、稲刈りが終わったあとは、稲を田んぼのはざにかけて干していました。(今はそんな光景もないのでしょうね)ところが、神戸に来てからは、日常で田んぼをみることがなくなり、季節感が薄れていったような気がします。でも、最近になって、人生にも少し余裕?が出てきたのか、周りの自然に目が行くようになってきて、自然から季節を感じられるようになって来ました。今日、通勤途中の公園で八重桜が満開になっていました。ソメイヨシノが終わり、春が進んでいくのを感じました。
2013年4月15日月曜日
クールダウン
4月も半ばになり、各種スポーツのシーズンが始まっています。今週末は高校アメリカンフットボールの試合がありました。アメフトの仕事に携わって10年ぐらいたちますが、以前から試合後のクールダウンをきちっとしていないことが気になっていました。練習を見に行ってもクールダウンをしていないことが多く、怪我の予防や、疲労回復の観点から問題だなと思っていました。いくら、口で「クールダウンをしろ」といってもなかなか定着しません。それであれば、いっその事、我々が出向いて行き実際に指導したらいいんだと気付き、今シーズンより、当院のトレーナーが試合に出向いて、試合後のクールダウンを指導することにしました。選手たちは、はじめは戸惑っていましたが、しっかりトレーナーの話を聞いて実践してくれていました。今後も、このような、地道な活動を続けて行きたいと思います。
2013年4月1日月曜日
新年度
今日から新年度です。今年度のFOSPOCはお知らせすることがたくさんあります。
まずは、先日お伝えしたように、ユニフォームが変わります。6年間慣れ親しんだユニフォームでしたが、時代の流れには勝てず、いわゆるドライ素材に取って代われられました。少し寂しい気もしますが、新しいユニフォームもなかなかです。
そして、新人が4名入職しました。理学療法士2名とトレーナー2名です。すべて女性で、ちょっと華やかな感じです。詳細については、随時更新されるスタッフの紹介のところをご覧ください。
また、院内には掲示していますが、4月から第2,4土曜日に海星病院人工関節センター長の柴沼先生に「変形性関節症/人工関節外来」をしていただくことになりました。これも、我々にとっては、大きな変化です。スポーツをメインにしていることには変わりありませんが、運動療法でもどうしても良くならない変形性関節症の患者さんには人工関節の手術があります。柴沼先生は、兵庫県内でも3本の指に入るぐらいの手術数をこなす、スーパードクターです。とっても優しくて、患者さんの面倒見の良い素晴らしいドクターです。膝や股関節の痛みでお困りの方は、ぜひ一度外来を受診してください。
さらに、今年のシーズンオフには野球教室の開催を計画しています。以前からずっとやりたかったのですが、オリックスの選手にお願いして、今年こそ、やりたいと思っています。せっかくチームドクターをしてるんですから、知ってる選手を呼んできて、野球を教えてもらおうと思います。
まだまだあります。リハビリ室のトレッドミルが新しいものに変わりました。以前のものは、最近調子が悪く、突然止まっていたりしたのですが、これで、そのようなトラブルも無くなります。
それから、それから、今年度から神戸学院大学アメフト部と啓明学院チアーリーディング部にトレーナーを派遣することになりました。これで、以前から派遣している兵庫県立大学アメフト部、啓明学院アメフト部、富士通バレーボール部、サイドワインダーズ(社会人アメフト)とあわせて、6チームチームのトレーナー業務を当院で行うことになりました。
FOSPOCは7年目に突入します。新人を迎えて、ますますパワーアップをしてスポーツ選手のケアーに全力を尽くしていきたいと思います。
そして、新人が4名入職しました。理学療法士2名とトレーナー2名です。すべて女性で、ちょっと華やかな感じです。詳細については、随時更新されるスタッフの紹介のところをご覧ください。
また、院内には掲示していますが、4月から第2,4土曜日に海星病院人工関節センター長の柴沼先生に「変形性関節症/人工関節外来」をしていただくことになりました。これも、我々にとっては、大きな変化です。スポーツをメインにしていることには変わりありませんが、運動療法でもどうしても良くならない変形性関節症の患者さんには人工関節の手術があります。柴沼先生は、兵庫県内でも3本の指に入るぐらいの手術数をこなす、スーパードクターです。とっても優しくて、患者さんの面倒見の良い素晴らしいドクターです。膝や股関節の痛みでお困りの方は、ぜひ一度外来を受診してください。
さらに、今年のシーズンオフには野球教室の開催を計画しています。以前からずっとやりたかったのですが、オリックスの選手にお願いして、今年こそ、やりたいと思っています。せっかくチームドクターをしてるんですから、知ってる選手を呼んできて、野球を教えてもらおうと思います。
まだまだあります。リハビリ室のトレッドミルが新しいものに変わりました。以前のものは、最近調子が悪く、突然止まっていたりしたのですが、これで、そのようなトラブルも無くなります。
それから、それから、今年度から神戸学院大学アメフト部と啓明学院チアーリーディング部にトレーナーを派遣することになりました。これで、以前から派遣している兵庫県立大学アメフト部、啓明学院アメフト部、富士通バレーボール部、サイドワインダーズ(社会人アメフト)とあわせて、6チームチームのトレーナー業務を当院で行うことになりました。
FOSPOCは7年目に突入します。新人を迎えて、ますますパワーアップをしてスポーツ選手のケアーに全力を尽くしていきたいと思います。
2013年3月19日火曜日
4月からのユニフォーム
2013年3月18日月曜日
藤田会
2013年3月14日木曜日
ホワイトデー
2013年3月6日水曜日
ざるもずく
今年も宮古島キャンプには当院の職員3名(古川PT,松本PT,武田TR)が来てくれました。職員が来てくれた時には必ず夜の食事に行くことにしているのですが、今年いった居酒屋さんに「ざるもずく」なるものがありました。なにかと思い、オーダーすると、写真のようなもずくの山盛り(下にザルが引いてあります)が出て来ました。店員さんに聞いてみると、「ざるそば」のもずく版だというのです。確かに一緒に出てきたのはめんつゆとつゆを入れる入れ物とわさび、生姜でした。要するにざるそばのようにもずくをめんつゆにつけて食べろというわけです。もずくといえばもずく酢か、もずくの天ぷらぐらいしか知らない僕にとっては????って感じでしたが、食べてみると!!!!!!!。こんな美味しい食べ方を今までどうして知らなかったんだろうって感じで、もずくがいくらでもお腹に入っていきます。もちろん、内地にあるイトモズクではだめで、沖縄の太いもずく(歯ごたえが全然違います)でないと味わいは出ないでしょう。宮古で生もずくを買って帰って、家で早速やってみました。一人でもずく1袋(500g)を平らげました(笑)。
2013年2月28日木曜日
宮古島2日め
2013年2月27日水曜日
宮古島キャンプ
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