2010年1月17日日曜日

震災記念日


阪神淡路大震災より15年が経過しました。僕は当時神戸大学病院に勤めていました。震災のあさは家内の実家におり、神戸にはいなかったのですが、ベッドが激しく揺れ、家にダンプカーでも突っ込んできたのかと思いました。夜があけてテレビをつけると大きな地震があったとの事、この時点ではまさか神戸が震源地など思いもよりませんでした。出勤するべく、最寄りのJRの駅に行くと電車が止まっているとの事、当日は手術日だったので、あわてて、手術の時間を変えてもらうように大学病院に電話をしいました(そのときはまだで電話がつながりました。)電車が止まっているのでと伝えると、「それどころではありません.できるだけ早く来てください。」と看護師が叫んでいました。この時点でも、神戸の状況はよくわからず、とりあえず、車に乗り、神戸に向かいました。西から神戸に向かったのですが、第2神明は当然通行止め、しかたなしに稲美町の方を回って西神中央から西神戸有料道路を経由して神戸にいくことにしました。その間にラジオから刻々と神戸の様子が伝えられ、とんでもないことが起きている事がわかってきました。そして、西神戸有料道路の鵯の料金所を過ぎて神戸市内が一望できるところに来たときにとんでもない光景が目の前に飛び込んできました。映画でしか見た事のないような、とても現実であるとは信じられない光景でした。町のあちらこちらから煙があがり、一部には火があがっているのも確認されました。「いったいどうなっているんだ」大渋滞のなかを少しずつ病院へ向かいながら「早く病院に行かなければ」という思いでいっぱいでした。つづく

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