2011年3月12日土曜日

東日本大震災


金曜日に信じられないことが起きました。我々神戸市民にとっては、16年前のことを思いだし、とても他人事には思えません。16年前は、大学病院に勤務していて、地震の日の朝は当直明けで加古川いました。もちろん加古川でも強い揺れを感じ、飛び起きました。直後はテレビでも神戸の震度は空白で(今回も激震地区の震度ははじめは空白だったような気がします。)神戸の状態はよくわかりませんでした。もちろん、このような大きな地震に慣れていないので、てっきり震源は関東の方で、こちらが震源地であるなど思いもしませんでした。連休明けの火曜日で手術日でした(連休中は大学センター試験(共通一次試験)が行われていました。)。出勤の用意をし、最寄りのJRの駅に行くと、電車がとまっており、「手術に間に合わないかもしれないので手術時間を変えてくれ」と慌てて大学病院に電話したところ(その時は奇跡的に電話がつながりました。今考えると本当に奇跡的です)、「それどころじゃありません。すぐに来て下さい。患者さんで病院が溢れかえっています」との看護師の答えに、初めて事の重大さを認識しました。車にのりかえ、すぐに大学病院へ向かいましたが、西神戸有料道路の上からみえた神戸市内(長田付近)は、あちらこちらで火の手と煙があがっており、とても現実の景色とは思えませんでした。ようやく病院に到着したのが、たしか11時頃だたと思います。すでに病院の周辺に住んでいる若い研修医の先生方のおかげで、軽傷の患者さんの処置はそれなりに終わっており、重傷者がドンドンと運ばれてくる時間帯でした。その時、病院に到着していた教官は、現在あんしんクリニックの院長をされている岩崎先生だけで、僕が2番目に到着でした。次から次に運ばれてくる患者さんの診断(トリアージ)を外来の待合で行っていました。(診察室のベッドはすでに患者さんで埋め尽くされており、診察室を使うことはできませんでした)それから数日間、病院に寝泊まりしたのを覚えています。今、まさに、東北地方の病院ではこのような光景がくり広がっているのだと思います。医療関係者の皆さん、疲れが出ないように、気をつけてください。(つづく)

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