2011年12月6日火曜日

練習量

患者さんに「どれぐらい練習をしても良いですか」「痛くても練習して大丈夫ですか」など、練習に関することをよく聞かれます。骨折や靭帯損傷などの外傷や、手術後のリハビリテーションについてはある程度決まりがあり、それにそって復帰していけば問題ありませんが、いわゆる疲労性筋炎や練習が出来る程度の腰痛など、また、原因のはっきりしない痛みなどについては練習量や、復帰に関しての明確な基準というものはありません。個々の選手の体力やチームの方針、競技種目、チームのレベルなど、数え上げればキリのないほど様々な条件があります。的確に指示をするのはなかなか容易ではありません。さらに、痛みの感じ方は、人それぞれですので、それを客観的に評価することも不可能です。また、回復の過程ではある程度の痛みは乗り越えなければいけないことも少なからずありませす。そこで、僕は常々「練習時の痛みは、練習が継続できるのなら、あまり大きな問題ではありません。ただ、毎朝起きたときに傷害部分の痛みを自分自身で評価し、その痛みが前の日の朝の痛みより強くなっていれば、昨日にやったことはオーバーワークなので、今日やる練習量は減らしたほうがいいですよ。もし、痛みが変わったいなかったり、前の日よりましな感じであれば、昨日の練習量は問題ないので、増やして行っても大丈夫です。」と言うようにしています。これは、僕自身の競技生活や、スポーツ医学に携わっての経験から患者さんに話していることでした。

すると、先日送られてきた日本体育協会発行の「指導者のためのスポーツジャーナル:2011冬号」に「鉄人」と言われた、元広島カープんの衣笠氏のインタビュー記事があり、「今日の痛みを忘れるな。明日の痛みが今日の痛みと同じなら野球はできる。痛みが増していれば気をつけろ」というあるドクターの言葉(残念ながら僕ではありません)が彼のコンディショニング維持の支えになったと述べられていました。まさに、僕が普段クリニックで選手たちにかけている言葉と同じで、少し自信がつきました。選手にその判断を委ねるちょっと勝手な言葉のような気もしていましたが、やはり選手として、自分自身のコンディションを評価し、それに対して対処していくことが大事であると再認識しました。

2011年12月5日月曜日

週末の試合

先週末は土曜日が関学ラグビー部、日曜日は富士通テンの試合がありました。関学はすでに優勝を決めている天理大学との試合でした。結果は負けてしまいましたが、今までの中で一番よい試合ではなかったと思えるほど、気合の入った内容でした。春の時点では天理の二軍に大敗していたチームが秋になって、ここまで成長し、頑張っている姿を見て感動しました。2年前のキャプテン(現、副キャプテンの兄貴)が応援に来てくれており、試合後に話すことが出来ました。こうやって引退した選手にあって話をすることもこの仕事をしていて楽しい瞬間です。日曜日は富士通テンの試合でした。こちらもこの春にレギュラー4人が引退し、苦しいスタートでしたが、ライバルのパナソニックエナジーに対して互角の試合を展開しました。試合後、悔しくて涙する選手の姿を見て、まだまだいけるぞという印象を持ちました。1月の全日本総合選手権での優勝に向けて、頑張って欲しいと思います。

2011年12月2日金曜日

日本プロ野球トレーナー研究会

昨日、プロ野球トレーナー研究会に参加してきました。今年で第50回を迎えるこの研究会はプロ野球球団に所属するトレーナーたちが毎年1回集まり、講演を聞いたり、症例について勉強する場です。そのなかで、ドクター、トレーナーミーティングという、ドクターとトレーナーが共同して症例検討をするセッションがあり、そこに参加してきました。毎年、この時期にあり、年に1度オリックスのトレーナー全員と顔合わせを出来る機会で(普段は個々のトレーナーたちと会うことはありますが、みんな一緒というのは、キャンプでもなかなかありません。)楽しみにしています。今年は、特別講演で帝京大学溝口病院の西良先生が腰椎疾患について講演され、とても勉強になりました。来年はオリックスが神戸でお世話をさせて頂きます。主役はトレーナーたちですが、僕も少しお手伝いをさせていただこうかと思っています。

2011年11月28日月曜日

関学高等部優勝

11月23日に兵庫県高校ラグビーの決勝戦がありました。いわゆる「花園」の県予選です。決勝は関学高等部対報徳学園高校でした。兄貴分の関学大のラグビー部のチームドクターをしている関係から、高等部の選手も、ちょくちょく我がクリニックに訪れるので、気になって試合を見に行って来ました。いつもながらに、クリニックにいた選手(ということは、怪我をしたということです)が、グランドで活躍している姿を見ると、本当にこの仕事をしていてよかったと思える瞬間です。勝負ですからどちらかが勝ち、どちらかが負けるのですが、勝ち負け関係なく、選手たちが思いっきり、精一杯のプレーが出来ればといつも願っています。試合は、関学高等部の勝利でしたが、相手の報徳も素晴らしいチームでした。関学の選手は兵庫県の全チーム、全選手を代表して花園に行くわけですから、精一杯の努力をして、素晴らしいゲームを花園でしてもらいたいと思います。
写真は関学高等部のホームページより転載させて頂きました。

2011年11月27日日曜日

レトロ

週末、甲南大学アメフト部の試合でエキスポフラッシュフィールドに行ってきました。当日はガンバ大阪のホーム最終戦と重なったため、いつも使っているエキスポ南駐車場がいっぱいで、また、終了時間も重なりそうだったので、車を千里丘の駅に止めて、エキスポまでタクシーで行きました。帰り道、駅までタクシーを乗るつもりだったのですが、すぐ手前で大渋滞、運転手さんが「歩いた方が早いので、ここでおりた方がいいですよ」と。そこで、歩いて駅の方へ向かっていると、古い電気屋さんがありました。その前に、なんと写真の物がおいてありました。電源とみられるコードも店の中に向かっており、きっと現役で動くと思います。子供の頃になぜかすごく乗りたかった乗り物です。こんなものがまだあるんですね。昭和生まれには、なんだか懐かしく、ちょっと嬉しくなりました。乗ってみたかったですが、おそらく、お尻も入りませんよね(笑)。

2011年11月25日金曜日

ブログ移動しました

yahooブログとマックが相性がわるいらしく、写真がちゃんとアプロードできていなかったりするので、googleに移って来ました。えっ、マックって?そうです。僕はマッキントッシュ派です。パソコンを使うようになって以来(約20年前)より、ずっとマックです。って、一度だけウィンドウズにしたことがありますが、1年ほどで、マックに戻って来ました。やっぱ、マックは最高です。

2011年11月22日火曜日

神戸マラソン


イメージ 1一昨日の神戸マラソン、このブログを読んでくださる人の中にも走った方もおられるのではないでしょうか。クリニックに通う患者さんも何人かは走られたようですし、直前に数人の方が、「神戸マラソンを走るんだけど、〇〇が痛いので、どうにかなりませんか」と来院された方もいます。みんな完走できたかなぁ。クリニックからは、中山トレーナーが参加しました。タイムはあまりよくなかったですが、ちゃんと完走しました。すごいですね。僕なんか42.195mでも走るは無理!!って感じです。クリニックの応援隊は水族園ノ遊園地の前の歩道橋の下でチョコを配っていました。最初に用意したのは、出した瞬間(ほんの2,3分)で売り切れたので、すぐに追加で買いに走り、なんとかみなさんが通り過ぎるまで持たせることが出来ました。
来年はもう少しバージョンアップして応援したいと思います。走られた方、お疲れ様でした。

2011年10月10日月曜日

肩関節学会


肩関節学会に福岡までいってきました。学会はいつもの通りでしたが、地方都市に行くとその町のおいしい食べ物に出会えるのも楽しみです。福岡はもつ鍋と並んで、水炊きが有名です。今回は、神戸大学の上肢グループの連中とその地鶏の水炊きを食べにいってきました。いろはというお店でしたが、有名なお店らしく、大阪にも姉妹店があるそうです。コラーゲンたっぷりの鳥のだしの鍋は絶品でした。久しぶりのヒットでした。たらふく食べて、飲んだ後の2次会は上肢グループの先生方が事前に見つけていてくれた居酒屋へ行きました。なぜそこの店になったかって?写真を見ればわかります。ここもおいしかったです。
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2011年10月6日木曜日

入院中

今日は水槽は話題です。ホームページにもあるようにもしかして、これが、今の僕の一番の趣味かもしれません。
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とろこでタイトルにあるように、先日仲間入りしたナンヨウハギが早速入院です。「白点病」といって水槽内で発生する魚の病気で最もポゅラーなものの一つです。この水槽では今まで発生はしたことはなかったのですが、ハギはかかりやすく、このハギくんもすぐにかかってしまいました。見つけたのは今週月曜日、早速、入院病棟へ移動。薬液を溶かした水槽に収容しました。おかげで、白点はほとんど治っているようで、来週はじめには退院予定です。それと、ナンヨウハギは「男にしか見えない」って先日のブログに書きましたが、よ~く見てみるとめと口の間にそばかすみたいな点々があり、それが可愛い女の子のようにも見えます。やっぱりドリーの設定は正しかったのかなってちょっと認識を変えました。
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2011年10月5日水曜日

水曜日の午後診

9月より、海星病院での手術日の変更に伴い、水曜日の午後の診察を再開しました。通常通り16時から21時までで、初診受付は20時まで、再診は20時30分までです。まだ、再開して1ヶ月しかたっておらず、水曜日は休みだと思っている患者さんが多いのか、クリニックの待合は閑散としています。お影で、このブログもかけています。水曜日の午後は待ち時間が少なくって良いかも。。。。。イメージ 1

2011年10月1日土曜日

壮行会に行って来ました。


僕が神戸大学アメフト部のチームドクターをした初年度のキャプテンの海外赴任の壮行会に行って来ました。彼は、この2月に僕のレイバンスチームドクターのお疲れ会を主催してくれたやつで、卒業後もお付き合いが続いています。2月のお疲れ会は全くのサプライズだったので、今回はその仕返しをしてやろうと、僕が行くことは本人には全く内緒にしていました。
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「今日は行けんけど、ゴメンな」というフレーズの入った僕からの手紙を、幹事さんに読んでもらったあとにサプライズで登場しました。さすがの彼もびっくりしたようで「どうしたんですか?」とあっけに取られていました。仕返し成功!!しばらく海外赴任する彼にあえてよかったです。壮行会は10人ほどのこじんまりした会でしたが、彼らとの関係をこれからも大事にしたいと思います。
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2011年9月29日木曜日

新しい仲間が来たのです。

イメージ 1と言ってもスタッフではありません。水槽の仲間です。綺麗な青色ボディーに黒のストライプ、黄色のヒレとちょっといって、ニモの映画ではドリーの名前で登場しています。映画では確か女の子でしたが、僕には男の子にしか見えません。かなり大きいやつですが、よろしくお願いします。また、お掃除役にクロナマコとニシキウズガイ、サルボウという貝です。彼らもよろしくお願いします。

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2011年9月28日水曜日

八王子に行って来ました。


先日、僕が手術をした患者さんの再手術をしてもらうために、八王子スポーツ整形外科に行って来ました。患者さんは、もともとこちらに住んでいましたが、大学進学のために関東方面に下宿している人です。術後のリハビリは大イメージ 1学の近くでしたとの希望で、それなら、手術も術後のリハビリを受けるところでしたほうが良いのではないかと考え、八王子でしたもらうことに決めました。ただ、僕がはじめの手術をしているので、再手術にも同席する責任があると考え、八王子まで行ってきたというわけです。八王子スポーツ整形外科は、僕が開業する前に気になっていたクリニックの一つで、機会があればぜひ訪問してみたいと思っていた所です。術後、院長の間瀬先生とお話をする機会がありました。クリニックの名前のことや、医師会のこと、クリニックの運営方針など、驚くほどに同じような考えをしておられる方で、びっくりしました。詳細については、また機会があればこのブログで紹介したいと思います。とっても有意義な時間を過ごすことが出来ました。このような機会を作ってくれた患者さんにも感謝します。

2011年7月7日木曜日

ゴールドコーストマラソン


ご存じの方もいるかもしれませんが、先週ゴールドコーストマラソンに行ってきました。このクリニックを開業するときに、「せっかくのスポーツクリニックなので、毎年ホノルルマラソンぐらい走りに行ければいいね」なんて冗談でいてたのですが、ホノルルではなかったですが、マラソンは現実になってしまいました。もちろん僕は5KMウォークに参加しましたが、あとの職員は12人フルマラソンに挑戦し、10人が完走してきました。一番早い人で4時間半ぐらい、一番遅かった人は7時間で走りきりました。はっきり言ってタイムなんかどうでもいいんです。42.195kmという、気の遠くなるような距離を走りきったことに意味があると思います。心から尊敬します。残念ながら完走できなかった2人も半分ぐらいまでは走りました。完走はできなかったけど、このマラソンに挑戦をしたことそのものに大いなる敬意を評したいと思います。僕なんかは戦う前に諦めていました。クリニックでは選手や患者さんにいつも「頑張れ」「あきらめるな」などと偉そうなことを言っていましたが、今回のみんなの頑張りを見ていると、そんな自分が少し恥ずかしくなってしまいました。いつかはフルマラソンは無理にしても、ハーフぐらいなら走ってみようかなとちょっとだけ思いました(笑)。職員たちは筋肉痛で、しばらくの間、動きがおかしいかもしれませんが、ご容赦ください。最後に、クリニックの休診中にはみなさんには大変御迷惑をおかけしました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。

2011年5月27日金曜日

やっぱり変わってる


この間から院内に掲示したり、ホームページに載せる文章を考えています。皆さんへのお知らせなのですが、主に、当院の運営方針や治療方針についてです。こんなこともあんなことも皆さんにお知らせしとかなければと思って書いていると、結構「当院では○○はできませんのでご了承ください」という感じのものばかりになってしまいました。他のクリニックや病院では「こんなことができます。」「ここが他のクリニックとは違います」などの肯定的なものが多いのですが、僕の場合は、逆に「できないことはできない」とあらかじめ患者さんに言っておきたいというところがあるのか、考えついた文章は「できません」ばっかりです。できることはおそらくわかっていただけていると思うのですが、あえてできないことを先にお知らせすることで、間違って当院を受診される方ができるだけ少なくなればと思っています。だって、せっかく来ていただいたのに診断もはっきりせず、治療もできなければ、かえって皆さんに迷惑をおかけすることになりますから。やっぱり変わってますかね(笑)。

2011年5月20日金曜日

変わってるクリニック


「リハビリは週に何回来たらいいですか?」という質問をよく受けます。「理学療法士もしくはトレーナーにお聞きになってください」とお答えしています。このことを話すと、すこしキョトンとされる方もいます。おそらくほかの病院では、医師が、「週に○回はリハビリに来なさい」と指示をしているところがほとんどだと思います。ですからこのような質問を僕にされるのだと思いますが、僕は基本的にリハビリの回数に関しては理学療法士やトレーナーに任せています。実際に手当をするのは彼らですし、彼らが患者さんを治していくのに必要だと思えば回数を増やせばいいし、調子のよい人やホームエクササイズなどしっかりとできる人は回数は少なくてよい(そのホームエクササイズができているかどうかは、トレーナーや理学療法士の方がよくわかっています)と思っているのです。診察室では限られた時間で、限られて空間しかありませんので、患者さんの状態を正確に判断するのは難しいところもあります。ですから、当院ではリハビリ室を他のクリニックさんよりはかなり大きく確保し、動きや筋力がしっかりと評価をできるようにしているのです。もちろん、2週間に1回リハビリカンファレンスがあり、その中で問題のある患者さんに関しては僕を含めてみんなで相談し、その後の方針(リハビリ回数、内容など)を決めていますので、ご安心ください。当院では他のクリニックにはないことがあったり、他のクリニックでは常識のことがそうでなかったり、ほかのクリニックでは非常識なことが常識だったりと、ちょっと変わっているかもしれません()。これも僕が20年間ドクターをさせていただき、その2/3以上をスポーツ整形外科に関わってきた経験から考えたことです。ご理解をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。ちょっと変わっている方がおもしろいかもしれませんよ。




2011年5月13日金曜日

東日本大震災5


大震災から2ヶ月が経過し、復興の兆しが少しずつですが、報道されています。1日の早い復興が望まれます。さて、当院からもなにか支援ができないかと、震災発生直後から考えていました。募金もしましたが、僕らならではのことはないかと考えついたのは医療機器の寄付でした。当院は開院4年が経過しましたが、当初使っていて使わなくなったものが幾つかあります。レントゲンをぶら下げて後ろから光をあてるもの(シャーカステンといいます)、救急カート、レントゲンのフィルム、紙カルテのフォルダー、紙カルテの番号用の札、番号用札に貼る番号シール、防火用カーテンなど数点がもしかしたら被災した医療機関の役に立てるかもと思いました。まずは宮城県の医師会に電話をしてみました。ところが宮城県医師会では支援物資の受付をしていないとのことでしたので、今度は岩手県医師会に電話をしてみました。すると、岩手県医師会ではこころよく物資を受け取っていただけるとのお返事をいただけましたので、早速荷物をまとめて贈ろうとしたのが、先月末でした。しかし、運送会社に問い合わせると、その大きさのものは、岩手県ではまだ個別配送を行っていないので、営業所預りになり受取人に取りに来てもらわなければならないとのお返事でした。支援物資を送っておきながら、相手の手数をかけるわけにはいかないと、それであればいっそのこと我々で運ぼうということになりました。秋田までの飛行機を手配し、そこからはレンタカーをかりて運ぼうと準備をしていたときに、放射線技師さんが「先生、このシャーカステン60Hz用って書いてありますよ」と言ってきました。そういえば、東日本はこちらとは周波数が違うのだということに気づき、早速、業者に問い合わせたところ、そのままでは使えないとのことでした。周波数の変換器をつければ使用は可能とのことでしたが、蛍光灯1本に1個付けなければならず、10本ぐらいありましたので、それを付けたら新品を買うより高くなってしまうではありませんか。仕方なく、シャーカステンを送ることは見合わせました。そうすると、大きさの関係で、運送会社が送り先まで届けることができるとのことでしたので、結局、運送会社に頼んで届けてもらうことにしました。そしてようやく連休明けに無事、物資が岩手県医師会に届いたようです。じゃまにならなければいいのになぁと思いながら、もし不要なら、着払いで送り返してくださいとお願いしておきました。少しでも岩手県の医療関係者の皆さんにお役に立てればと思います。その時一緒に送った手紙もアップしておきます。

2011年4月11日月曜日

4月11日


前回のブログからあっとうまに2週間以上が経過してしまいました。毎日ブログやツイッターしている人たちは本当にえらいなぁーと思います。さて、震災の続きですが、東日本大震災からちょうど今日で1ヶ月が立ちます。阪神淡路で言う217日ですね。1ヶ月といえば、少し落ち着きが出てきて、復興に向けてすこしずつ踏み出していこうとしていた時だったのではないかと思います。1月の末から巡回リハビリテーションが始まり、各避難場所で生活をしておられ、病院へのリハビリテーション通院が困難な方に対して、我々が現場に出向いていきリハビリテーションを行うというものでした。リハビリテーション医、整形外科医と理学療法士、作業療法士が中心になり、多くの避難所を回りました。僕自身も微力ながらお手伝いさせていただきました。震災後1週間で大学病院は外来診療が再開され、2月には通常診療が再開されていました。他にも色々と書かなければならないこともあるのですが、とりあえず一度筆を置きます。詳細は「阪神・淡路大震災 神戸大学医学部記録集」としてhttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/8-72/index.html に掲載されています。興味のある方は一度ご覧になってください。


さて、このブログをサボっている間に2011年春のシーズンが開幕しました。今年もFOSPOCはアメフト、ラグビーを中心に現場での活動を続けていきます。6月までの間、土曜日は試合等で診療時間の変更が多々ありますので、みなさんにまご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いします。

42日今シーズンの皮切りは兵庫県高校アメフトの試合でした。やはり現場に出ると、なんかわくわくします。このワクワク感がたまらなく、この仕事を続けています。勝負事ですので、勝チームがあれば、必ず負けるチームがあります。もちろん勝つに越したことはありませんが、負けたチームの選手達が、悔いのないゲームを全うできるように祈っています。

2011年3月18日金曜日

東日本大震災3


先日から、東日本大震災が起きたことをきっかけに、阪神淡路大震災のことを思い出し、覚えていることを今のうちに書き留めておこうとブログを書いています。地震2日目からはトイレが大きな問題になりました。最初は病院の屋上のタンクにある程度の水がありましたので、水洗便所も機能していましたが、そのうち水が出なくなり、トイレは悲惨な状態になりました。(お食事中の方はすみません)水が来ないということはそういう事なのです。そのうち簡易トイレが正面玄関の前にズラリとなりびましたが、そのタンクがいっぱいになるのも時間の問題でした。テレビを見ていてもそこまでは報道されませんが、きっと東北の皆さんも困っていると思います。地震、津波発生から1週間が経過し、そろそろ現実が現実として認識される時期になってきます。人間いつまでも「頑張れる」わけではありません。その反動で、精神的にかなり落ち込んでくる時期でもあります。頑張れなくなったら、素直に、「頑張れない」って周りの人に言ってみてください。そうすることで、少し楽になれます。楽になれば、そのあとまた頑張れるかもしれません。僕達、神戸も復興しました。東北の人たちもきっと復興できます。僕達も出来るだけのことはしたいと思います。(つづく)

2011年3月15日火曜日

東日本大震災2(前回の続き)


(神戸淡路大震災のこと)診察が少し落ち着きを見せ始めた頃、病院のロビーには被災者の方々が避難してこられ、あっという間に病院のロビーは被災者いっぱいになりました。しかし、当初は避難所指定はされていなかったために、支援物資(食料、水等)が届きませんでした。しかし、病院ですので、病院の職員、患者さんには支援物資があり、食料も水もそれなりに足りていました。ただ、避難されてきた皆さんに配るほど十分ではなく、一部の人だけに配るわけにもいきませんでした。患者さんのご家族の方は避難者として病院におられ、患者さんには支援物資は配れましたが、家族の方には渡せないという、異常な事態が1,2日続いたと思います。「こっちにもよこせ」と罵声にも似た声をかけられたことを、昨日のように思い出されます。そのうち、一応避難所に指定され、支援物資も届くようになりましたが、業務に影響が出るため、できるだけ本来の避難所に移っていただくように病院職員が声をかけていたようです。病棟はその隣とのビルとの境目で亀裂が入り、上層階では1m以上のギャップが出来ていました。(病棟が少し傾いたようです。)自宅待機の可能な方には極力退院していただき、地震で負傷された方々を収容したところ、入院患者の8割近くが整形外科関係の患者さんになった記憶があります。水、電気がないため、透析を十分に行うことができず、簡易の装置を使って、必死頑張っておられた内科の先生方の姿も思い出されます。我々もクラッシュシンドロームやコンパートメント症候群の患者さんに対して、病室内で、局所麻酔下の筋膜切開を何人もの患者さんに行いました。余震も頻繁にあり、震災の当日の夜には近隣で火事があり、その火の手が病院のほうに向かっているとの情報もあり、不安な一夜を過ごしました。今、まさに東北がこの状態です。何かしたいのですが、何をしたらいいのかわかりません。とりあえず、クリニック内での節電を始めました。(つづく)



2011年3月14日月曜日

旅立ちの会


昨日、啓明学院高等部アメリカンフットボール部の旅立ちの会(卒業生を送る会)にご招待を受け、行ってきました。学校の卒業式から少したった彼らは、少し大人になったような感じがしました。大学に入って、フットボールを続ける人も続けない人もいるようですが、この3年間にアメフトを通じて学んだことをこれからの人生に存分に活かしていって欲しいと思います。

2011年3月12日土曜日

東日本大震災


金曜日に信じられないことが起きました。我々神戸市民にとっては、16年前のことを思いだし、とても他人事には思えません。16年前は、大学病院に勤務していて、地震の日の朝は当直明けで加古川いました。もちろん加古川でも強い揺れを感じ、飛び起きました。直後はテレビでも神戸の震度は空白で(今回も激震地区の震度ははじめは空白だったような気がします。)神戸の状態はよくわかりませんでした。もちろん、このような大きな地震に慣れていないので、てっきり震源は関東の方で、こちらが震源地であるなど思いもしませんでした。連休明けの火曜日で手術日でした(連休中は大学センター試験(共通一次試験)が行われていました。)。出勤の用意をし、最寄りのJRの駅に行くと、電車がとまっており、「手術に間に合わないかもしれないので手術時間を変えてくれ」と慌てて大学病院に電話したところ(その時は奇跡的に電話がつながりました。今考えると本当に奇跡的です)、「それどころじゃありません。すぐに来て下さい。患者さんで病院が溢れかえっています」との看護師の答えに、初めて事の重大さを認識しました。車にのりかえ、すぐに大学病院へ向かいましたが、西神戸有料道路の上からみえた神戸市内(長田付近)は、あちらこちらで火の手と煙があがっており、とても現実の景色とは思えませんでした。ようやく病院に到着したのが、たしか11時頃だたと思います。すでに病院の周辺に住んでいる若い研修医の先生方のおかげで、軽傷の患者さんの処置はそれなりに終わっており、重傷者がドンドンと運ばれてくる時間帯でした。その時、病院に到着していた教官は、現在あんしんクリニックの院長をされている岩崎先生だけで、僕が2番目に到着でした。次から次に運ばれてくる患者さんの診断(トリアージ)を外来の待合で行っていました。(診察室のベッドはすでに患者さんで埋め尽くされており、診察室を使うことはできませんでした)それから数日間、病院に寝泊まりしたのを覚えています。今、まさに、東北地方の病院ではこのような光景がくり広がっているのだと思います。医療関係者の皆さん、疲れが出ないように、気をつけてください。(つづく)

2011年3月7日月曜日

ハマクマノミ参上

先日、このブログでお知らせしたように、クリニックの魚が全滅しましたが、この日曜日にハマクマノミ4匹を迎えました。ペットショップで4匹仲良く泳ぐ姿に、4匹ともほぼ衝動買いの状態でした。クリニックに帰ってきてよくよく見てみると、4匹のうち、2匹は少しいじめられているようで、背びれをたたんだままです。ちょっと黒目の1匹はボスっぽくっていち早くイソギンの中に入って行きました。さて、彼らがどうなるか、どのうような社会を作っていくのか楽しみです。白点病が再発しないように祈ります。



2011年3月4日金曜日

水槽全滅


今年初めに再度立ち上げたクリニックの海水魚の水槽の中の魚が、ここ最近、非常に順調に維持できていたのですが、トゲチョウを入れて2週間ほどで白点病が発症し、それが猛威をふるって薬液治療を行うも、手遅れとなりました。ハナビラクマノミ5匹、トゲチョウ1匹が天国に召されました。6匹のご冥福をお祈りします。現在水槽はツマリシライトイソギンチャク1匹とヤドカリ3匹が残っています。水質もかなり悪くなっているようですので、しばらく、水質が安定するまで頑張りたいと思います。新しい魚が来るまで、もうしばらくお待ち下さい。

2011年2月21日月曜日

オリックス春季キャンプ2011


今年もオリックスの春期キャンプに帯同してきました。毎年、このキャンプに帯同することで、一年のスポーツ現場活動の始まりを感じ、モチベーションがあがっていきます。今年も選手たちが安心して活動できる環境を整えるとともに、けがをした選手たちができるだけ早く、そして確実に現場に戻れるようにがんばっていきたいと思います。1週間の長い間、クリニックを閉めていきましたので、皆さんには大変ご迷惑をおかけしましたが、個々で充電してきた力を今後クリニックで還元していきたいと思います。

2011年2月14日月曜日

ラグビー


一昨年より関西学院大学のラグビーのチームドクターを拝命してから、ラグビーをみる機会が増えました。昨日は兵庫県高校の新人戦決勝があったようです。結果は関西学院大学の弟分の関学高等部が優勝しました。本当におめでとうございます。ラグビーはアメフトと並んでけがの多いスポーツです。選手のみんながけがをせずに自分の力を充分に出して悔いのない試合をしてくれればといつも思います。試合を見ていてもいつもヒヤヒヤします。アメフトであれば、一次交代が許されていますので、サイドラインでゆっくり治療して再び試合に戻ることは可能ですが、ラグビーはそうはいきません。試合中にけがをしたときの対応は、医師として本当に悩ましいものです。なんとか彼らの力になれるように、これからも精進していきます。

2011年2月13日日曜日

お疲れ会



土曜日、僕がレイバンスのチームドクターを始めた学年の主将と飲む約束をしていました。昨年の年末に電話があり、「久しぶりなので、飲みにいきましょう」と誘われました。元選手たちが連絡をしてくれるのは本当にうれしいことです。ただ、なかなか予定が合わず、誘いに答えることができないことも多々あります。しかし、今回は、かなり前からの申し出でしたし、その日は特に予定もなかったので、その学年何人かと飲みにいこうという話になりました。そして、当日、待ち合わせ場所に来たのはその主将一人だけ、「え~っ?おまえとさしで飲むの」と冗談をいいながら、「店はとってありますから」ということで、つれられていった店の前の看板に「本日貸切」と書いてあるではありませんか、そして中からなにかかけ声みたいなものが聞こえてきました。「きっと結婚式の2次会かなんかがあって、本当は貸切だけど、彼の顔(一応一部上場の有名商社のビジネスマンですから)で隅っこの方でも飲ませてくれるのかと」思って中に入ると、そこには総勢60人以上のみたことのある顔が、「あれ、そうかレイバンスの誰かの結婚式の2次会に呼ばれたのか」と思い、中にはいると、正面には「藤田先生ありがとう。」の横断幕が。。。。。。その瞬間、涙があふれそうになりました。彼らが僕のためにパーティーを用意してくれていたのです。総勢60人あまり、すべての学年からの参加がありました。今でもこうしてブログを書いて思い出しているだけでもジーンときてしまいます。少し訳あって、不本意ながら昨年末を持ってレイバンスを去ることになり、僕の中でもいろいろと悩んでおり、もと選手や、トレーナー、マネージャーたちにも申し訳ない気持ちも多々ありました。これでレイバンスとの縁も切れてしまうのかとの寂しさが心の中を埋めていたときのこの出来事です。会の途中からはうれしさで涙が止まらず、年がいもなく、若い人たちの前で大泣きしていました。本当に8年間がんばってきてよかったと思いました。これほどうれしかったことは人生の中でも数えるほどしかありません。どんだけ感動したか、言葉に表すことができないくらいです。3連休の真ん中の日にわざわざ集まってくれて、こんな感動をくれたレイバンスOB, OGに感謝です。みんなほんまにありがとう。ほんで、これからもよろしく。また、一緒に飲もうな!!