2011年3月15日火曜日

東日本大震災2(前回の続き)


(神戸淡路大震災のこと)診察が少し落ち着きを見せ始めた頃、病院のロビーには被災者の方々が避難してこられ、あっという間に病院のロビーは被災者いっぱいになりました。しかし、当初は避難所指定はされていなかったために、支援物資(食料、水等)が届きませんでした。しかし、病院ですので、病院の職員、患者さんには支援物資があり、食料も水もそれなりに足りていました。ただ、避難されてきた皆さんに配るほど十分ではなく、一部の人だけに配るわけにもいきませんでした。患者さんのご家族の方は避難者として病院におられ、患者さんには支援物資は配れましたが、家族の方には渡せないという、異常な事態が1,2日続いたと思います。「こっちにもよこせ」と罵声にも似た声をかけられたことを、昨日のように思い出されます。そのうち、一応避難所に指定され、支援物資も届くようになりましたが、業務に影響が出るため、できるだけ本来の避難所に移っていただくように病院職員が声をかけていたようです。病棟はその隣とのビルとの境目で亀裂が入り、上層階では1m以上のギャップが出来ていました。(病棟が少し傾いたようです。)自宅待機の可能な方には極力退院していただき、地震で負傷された方々を収容したところ、入院患者の8割近くが整形外科関係の患者さんになった記憶があります。水、電気がないため、透析を十分に行うことができず、簡易の装置を使って、必死頑張っておられた内科の先生方の姿も思い出されます。我々もクラッシュシンドロームやコンパートメント症候群の患者さんに対して、病室内で、局所麻酔下の筋膜切開を何人もの患者さんに行いました。余震も頻繁にあり、震災の当日の夜には近隣で火事があり、その火の手が病院のほうに向かっているとの情報もあり、不安な一夜を過ごしました。今、まさに東北がこの状態です。何かしたいのですが、何をしたらいいのかわかりません。とりあえず、クリニック内での節電を始めました。(つづく)



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